2007年03月08日

Ayumi Hamasaki“Secret”

ツタヤで、あゆのアルバム、“Secret”を借りた。
PIL_AVCD-23179.jpg

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2006年06月05日

Aから始まる大事なもの 〜Ayu編〜

Aから始まる大事なもの、AKIRAと来て、つぎはAyu関係。

本当は先にAyuの歌詞について書くつもりだったのに〜。うまくいかないもんですね(^-^;)


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2006年05月07日

End of the world (replace)

Ayuの3番目のアルバム、Duty の、4曲目に収録されている曲、
End of the World。


私がDutyのMDを聴くときは必ず再生し、折に触れ聴きたくなる曲。
この曲はどれほど年月が経っても思い出すだろうな、という自分のどこか深い部分と結びついている曲。
本当に、たまに、存在するそのような曲。
それでも、折に触れ聴きたくなるような曲。
私にとって、この曲はそんな曲のひとつだ。

その表題の意は文字通り、世界の終わり。ひょっとすると世界の果て、全てに対する終着点、という意味なのかもしれない。

同じアルバムに収録されている、絶望三部作と絡めてみると
Vogue(流行り)→Far away(遠くへ・・・)→SEASONS(季節たち 今年もまた一巡する四季=年月?)→End of the world(世界の終わり/世界の果て)

Vogue〜SEASONS、3部作のPVには桜が出てくる。
桜の、あのうすいピンク色の花は咲いたがいなや、すぐに散ってしまうと知っていてけれども、その弱弱しくも、咲き誇ってる様子は
なんとも美しく、哀しく、はかなくて…なんだかVogue の歌詞のようだ。

君を咲き誇ろう 美しく花開いた
その後はただ静かに 散っていくから…



Ayuの絶望三部作については、すでにブログ/ホームページ上で色々な考えが述べられていますので、今は置いておくことにする。


世界の終わり、End of the world。

その題に呼応するように、かなり暗い内容の歌詞だと思う。
世界の果てで、歌詞に綴られているのは、日常的に感じる事。
いつも他人と比べずにいられない矮小で決して満足していない自分、
それでもそれを止めるなんてできずに叫ぶしかないような内面の吐露。


私は何て想えばいい
私は何て言ったらいい
こんな私のことをわかろうとするなんて
君が初めてだった


でも、この世にただ一人でも自分をわかろうとしてくれる人がいれば、
ひょっとすれば、世界の”終わり”は訪れないのかもしれない。
ただ一人でも、自分の見方を理解してくれる、さらに言うとすれば、自分の持っている世界を理解してくれる人がいるとすれば、世界は”終わら”ない。

…今の私がそうであるように。

それでもまだ、全てに対して絶望と困難を感じ、それでもそこから抜け出せずにいる、もがいている自分。
そして、自らを犠牲者と称する人々=自分に痛烈な批判。


犠牲者だなんて思うなら 全て失くしても
構わない覚悟で 最後まで 演じ切ればいい


この歌詞の意味を、私は今でもよく考える。

この意味とは、
「私は犠牲者だ!だから私を省みなかった世界が悪いのだ!私は何も悪くない!」と、全てを拒絶して、声高に叫ぶことを言っているのかと思った。

世界を拒絶する、ということは、その世界の中に含まれる善なるものも拒絶するということだと思う。

自分が不安と孤独にさいなまれているとき、世界は悪ばかりを表現し、内包しているように思う。
何も信じられなくなって、全てが嘘に思えてくる。
その中にある善さえ否定してしまう。
善も悪もない場所、ほんとうに、”何の意味もない”場所。
空虚な、灰色の世界。

ただ、そんな灰色の、冷たい世界の一片に必ず含まれている、善なるものの意味すらも否定できるのなら、

全て失くしても構わない覚悟で


私は犠牲者だと叫べば良いのかもしれない。
ただ、自分が声高に叫ぶだけでは、何も変わりはしない。



君が何を明日へと願い
暗く続くどんなに長い夜さえも超えて
行こうと思えるのか
いつか聞かせてほしい


Ayuは、歌の中で問いかけをやめない。
それは、答えを求める悲痛なまでの叫びに他ならない。
この「君」はAyu自身なのか、それともこの曲を聴くたくさんの
リスナーに対してへの問いかけなのか、どちらであろうと当てはまる気がする。



今、2000年当時のDuty発売から、6年の月日が過ぎて思うのは、
やっぱりこの歌はAyuの叫びだったのかもしれない、と感じてしまうこと。
私の邪推かもしれないけれども。

私は何て想えばいい
私は何て言ったらいい
もてはやされたって 羨まれたって
解ってるのかさえ わからない


うらやまれたり、もてはやされるのが自分という存在そのものではなくて、巨大な虚像としての自分に対してこう言われるのであったら、
それはますます自分との乖離を引き起こし、この歌詞の通り、
自分に対する賞賛さえも、偽りなのか本当なのか、本質的な意味で
解っているのかさえ わからなく なるだろう。
それはとても苦しい。でも周囲にはそれがわからない。
この世にいる誰にもわかってもらえない苦しみ、
それはまるで世界の終わりにでもいるように感じる心境。
世界の果てでただ一人立ちすくんでいるかのような心境。

私は何て想えばいい
私は何て言ったらいい
こんな私のこと解ってくれるなんて
きっと君だけだから


これを悲痛な叫びと呼ばずして一体なんと呼ぶのだろう。

よく見ると、最後の部分の歌詞のサビの部分は最初と同じように見えて、実は少しだけ違っている。

最初は 君だけ”だった” なのに、
最後には 君だけ”だから” と変わっている
これは自分を解ってくれる唯一のヒトと出会えて
喜びの”〜だから”ではなくて
もう、何もわからず追い詰められて最後に出会ったものが
「君」で、自分には”君だけ”しかいない。
それは果たして喜ぶべき事なのか、悲しむべき事なのか。

けれども、これは、絶望の中にも希望を見出そうとする意志の吐露であるのかもしれない。
自分が誰も信じられなくなっても、誰かを信じようと、「君だけに」語り続ける。たとえ伝わらなくても。

どんなに伝わらないのだと絶望していても、伝えようと思わなければ、
何もわかってはもらえないと思っていても、言葉をつむがなければ、何も伝わりはしないから…。

そうやって、何かが伝われば、そのひとにとっての世界は、”終わら”ない。
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2006年04月27日

Ayuで好きな曲と歌詞〜思いついた範囲でその1〜

テクノだいすきっ子としてはayu-mixとかREmixものも大好きるんるんるんるんるんるん
なのですが、もちろん原曲も大好きです。

SURREAL

好きなものさえも 見つけられずに
責任なんて 取りようもない


もうこの曲はイントロを聴いただけで、気分が高揚します。どんなに時間がなくても、DutyのMD内でEnd of 〜と並んでこの曲は絶対聴く、というやつです。
ライブで聴いてみたいなぁ。



End of the world


私はなんて想えばいい
私はなんて言ったらいい
こんな私の事わかろうとするなんて
君が初めてだった


この歌に関しては、この記事 でも触れていますが、
この記事を前のブログで一番最初に書いた時の、自分の心境にもっとも近かった歌かもしれない。

自分の発する言葉に意味を感じられない、誰に伝えたいのか、誰に必要とされたいのか、それを発している自分のあり方すらもわからない。

そういえばこの歌詞の「想う」って、単なる「思う」じゃなくて
「想う」なんだ。
そこにもきっとAyuなりの「想い」があるのか…。
そんな、細かい部分にも気を配っていて、何度でも楽しめるような、そんな歌詞って、私は大好き。


And then

目に見えないものを信じていたなんていつの事だろう
この頃は何もかもが見えすぎて わからなくなっている


何も見えなくて、それゆえに目に見えないものを容易に信じられるのと、
何もかもが、明確に見えすぎて盲目になってしまうのは、どっちがいいんだろう。

テレビやインターネットや、情報が発達するたびに思う、そんな、とりとめのないこと…。



大切なものひとつ見つけたら 誰にでもは教えないけどね



Ayuの見つけた大切なもの って何なんだろう。

見つけたら誰にでもは教えたくない。そんな気持ちには、納得できる。
別に、他人に教えたら損するとか、私は他人に意地悪してやりたいから教えない、だとかそういうことじゃなくて、
それはきっと、誰かが「大切」って言うから「大切」って思うのではなく、
自分自身が見つけて、自分の意志で「大切」って思えることに、意味があるのだと思うから。

苦しみも悲しみも分け合えばいいんじゃないなんて
カンタンに言うけどね そんなこと出来るならやってる


そうだそうだ!できたらやってんだよ!!この野郎!等と、若干不良少年気味にやさぐれてますが(※この記事を書いた当時は本当にやさぐれていました・笑)この歌詞は、MY STORY の About youと、重なっているテーマであると思います。

4th アルバム MY STORYの 2曲目に収録されている、About youという曲では、

人の痛みは計り知れないからね
分け合う事もなかなか難しいね



と、なっている。

And then では、

「できるならやってるもん!」

と、子供のように語気を荒くしているような感があるのに対して、

About you では、

「人同士のわかりあえなさも、ひとつの出来事として、受け止めてゆこう」

と、いうような、そんな一種の余裕を感じます。

歌詞を整理していると、この2曲には、どこか通底したものがあるように思いました。
だから2曲とも好きなのかな(笑)?



いつまでも 同じような所にはいられないと 言っていたでしょう
日が昇るその前に 二人して この町を出て行こう


どこへなのかはわからないけれど…旅立ちの予感。
もう同じ場所にはいないと決めたから?
ただ立ち止まって途方にくれているのではなくて、歩いてゆかないといけないと思ったから?

この二人、というのは、文字通り恋人同士なのだろうか?
最初にこの歌を聞いたとき、私は恋人同士がどっかにいっちゃうのかな?かけおちってやつ??(ドキドキ)なんて、勝手に邪推をしていたのだけど…。

でも、AUMKさんのブログ この記事(ナチュラルメイク) を読んでいると、たぶんそうではないんだと思う。

そうかもしれないけど、もっと深い意味も込められている…ような。

この曲はかなり好きな部類に入るので、いずれまた、さらに深く考察してみたいと思います。

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2006年04月26日

私がAyuを好きになった理由。

昔から、といっても小さい頃からずっと聞いていたとかそういうわけではないけど、

浜崎あゆみ の曲ばかり聴いている。

Ayuについてはもうメディアで、過去には女子高生のカリスマだとかなんとかさんざ騒がれているので、ワイドショー的な意見はここでは話題にしたくない。
正直な話、私もそんなワイドショー的意見に惑われ目が曇って、Ayuが嫌いになった時期があったからだ。

今はそういう言説の殆どに全然興味がない。
自分自身がAyu(の曲)をどう思っているか、どう感じたのか、ということが一番大事だって思っているので、そういう意見はどうでもよくなったのかもしれない。


Ayuにはまったのは高校の頃。
evolutionをAyuが歌っているのををミュージックステーションか見て
シングル買ってみようかな?って思ったのが始まり。

今でもよく覚えている。
それからDaybreakまでアルバムもシングルも大体そろえた気がする。
で、最近また改めて、Ayuっていいなぁと思うようになったのだ。
一度興味を失ってからまた復活、という感じなので
アルバムに知らぬ間にDVDが付くようになっていたのには驚いてしまった。

でも人気以上に、聞くに耐えうる、繰り返し聞きたいという作品というのは
曲もそうだけどやはり歌詞もあるのではないかなと思う。
心情に、どこかしら深く訴えるものを持ってないと、流行を超えて繰り返し聞き続けたいとは思わないから。
ましてやこの移り変わりの激しい世の中では。

で、今また深く感じ入ってしまった歌詞はたくさんあるのですが、
ここではまず、kanariya と Fly high に限定して、ご紹介します。



kanariya

何一つとして与えようとせず
何一つとして得ようともしないまま
いつでも 理由を探した



これは、よく考えると当時の自分だったんだよね。バッド(下向き矢印)
結局どうして、そんなことしかできなかったかと言うと…。
怖かったから。
そして、臆病だったから。


声をなくしたカナリヤたちは
なけなくなったワケじゃなくて
ただ泣かないと
決めているだけなのかもしれないと…



未来の見えなさ、希望のなさに押しつぶされそうで、そして悲しみを押し殺して涙すら出なくなって最後は…。

そんな、悲しいと予感と、途中で切れた歌詞の先に、かすかな希望が見え隠れするような、そんな歌詞。

この歌詞の持つ意味が深く深くわかるようになって、自分もきっとそうなのかもしれない…と、ただ、予感だけを意識しながら、聴いていただけの何年か前の私と、今は一種の悲しみと憧憬すら感じて聴いている今の自分は成長したのだろうとは思う。
この、歌詞の最後の部分が断定で終わっていない所に、すごく、Ayuの感情の機微らしきものが見えて、それが結果的に、商業的な歌詞とは全く正反対となってるところが、本当に人間らしいな、と今の私は思っている。


Fly high

いつかまたこの場所に来ても
同じ空を同じように見て
美しいと言えるのかと
僕は考えすぎたのかもしれない


初めて聴いたときは特になんとも思わなかったのに
今聴くと、その意味がとてもよくわかる。

これは、成長の歌。そしてそこに伴う不安も歌っているのだと、今の私は思う。

最初は、ただ「空がキレイ!」って言っていればそれで満足だった。
そこにいて、ただほめたり騒いだり歌っていればそれで満足だった。
でも、しばらくして、「どうして美しいって思うんだろう」と意味を考え出すようになった。
それは、空がキレイだとわかってしまったから。
空のキレイさが、自分の中にあった、何かを呼び起こして、どこかに向かわせようとしていたから。そんな気がする。





それにしても、Ayuって、言葉にならない、なんかもどかしい気持ちを、うまくシンプルな言葉で表して、形にしてまとめているのが、本当に上手い!
文章の技巧の上手さというより、感性の圧倒的勝利とでもいおうか…。
絵で言うとデッサンの上手さというより、荒削りだけど目を引く町の壁の絵のような。
うーん、上手いたとえが見つからなくって、困ります。
いまのところ、Ayuは存在自体がAyu! としか言いようがない。 なんて安易な。ホント、言葉足らずですいません。
posted by 鉄1 at 02:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 浜崎あゆみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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