2007年01月14日

格差について、ふと思ったことなど

このブログの管理人の方の文章(新自由主義批判)が面白い。

ソレハ・ジコセキニン・ダ  という呪文とかね〜。ネーミングセンスが上手い!笑。
こういう言い方でニュースや新聞が語ってくれたら、もっとみんな政治や経済に興味を抱くだろうに・・・人の事は言えないなー_ー;)

自己責任について
http://komichin.blog80.fc2.com/blog-entry-34.html

 
http://komichin.blog80.fc2.com/blog-entry-37.html

それは結局、自分が「負け組」あるいは、「負け組予備軍」であるという事実を認めたくない、そのような現実を直視したくないからだ、と私は考える。それを認めると、自分があまりにも惨めで辛くなるから。その事実に耐えられない。



 自分の弱さを見つめられない、というのは、結局は、怖いのだ。

 どうしてかというと、その事実にたった一人で、そう、たった一人で直面する勇気もないし、何よりも自分がダメだと認めてしまえば、自分が誰からも必要とされなくなるんじゃないかと、怖くて仕方ないんだろう。


結局はどんな惨めで辛くても、自分自身が「弱者」「負け組」、あるいはその予備軍であるという現実を認識して、そこから出発する。
 社会の矛盾や理不尽の犠牲となった人たちに対しても、想像力をめぐらせ、「それが自分にとって、どういう意味を持つのか?」を考える。
 その上で考える。問題を打開するために何をすべきか? 自分に何ができるか? 個人レベルでも、社会全体のレベルでも考えていく。
 そうしてはじめて、問題の根本的解決も、救いの道も開けてくる。
 くどいようだが、何度でも言わせてもらいたい。




 この主張には全面的に同意。
 私が人生で最もつらかったときに無意識にやっていたのがこのことだったと思う。理解と想像力のないところに、進歩も発展もない。自分にとって必要なものが何かを知っていなくては、対処法も考えられない。

 それにしても、格差については難しい問題だと思う。
 格差の問題は、経済的な要因が大きいのか、あるいは社会を構成しているひとりひとりの人間の価値観のせいが大きいのか、私のような人生経験の少ないいち学生には、なんとも判断が出来かねて…。
 それは、私一人ごときが判断できるようなことではないから、過ぎる時が答えを出してくれる部分もあるだろう。自分の今行っている事が、社会問題とは直接関係はないかもしれないけど、社会の構成している一人の人間(社会人って意味じゃないですよ、念のため)として、自分の出来ることをやっていこうと思う。

 社会状況と人間は切り離せるものでもないし、科と言ってまったく考えないわけにはいかないけど、ひとりひとりの人間が集まったものが、「社会」であるわけだから、それが、良い結果になるのか悪い結果となるのか、いまの私はただ前を見て、自分がよいと思う行いを日々行って、地に足をつけて歩いていくしかない。

 結果は、未来の自分が如実に体現してくれるのだと思う。
posted by 鉄1 at 15:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会…Ourselves | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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