2007年01月08日

YOB EHT ← あるいは人間関係について


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きかん気で、飾り気のない、あるいは自分を、さもすばらしいものであるかのように飾りたてるということが一切できない、男と少年の間ぐらいの年の男の子。

誰かに何かをほめられたりすると、照れ隠しに「うるせえ!」と怒鳴ってしまいそうになる。



誰かをほめたくても、自分が本当に伝えたいことの半分も伝えられない。

すばらしいとかすてきだという表現はすでに、ぼろぼろに使い古されていて、つまらない言葉だと思っているのに、それ以外に自分の言いたいことを平易に表す言葉を見つけることができない。
言葉は他人に伝わらなくては意味がない。

伝わらない言葉と伝えられない自分に常に悔しい思いをしていて、鬱屈して、爆発してしまいそうになっている。




何か権威にすがって、ただ自分勝手な理屈を並べ立てているだけのやつがいたら、即座に眉をしかめて「お前は一体どれほどのモンなんだよ?」と、思う。

言葉をただ使うだけなら誰にでも出来る。
言葉のロジックを知るものは、それを悪用して、他人をだますことのみに使うことさえ出来る。

言葉のロジックを悪用する人間はたぶん、他人を支配したい。そのことだけのみに言葉を使う。
それを知っているから、眉をしかめる。

他人をだましても、その他人を完全に支配できるわけではない。
たかだかひとりの人間風情が他者を完璧に支配することなど出来るはずがない。



気になることがあると、真っ先に調べずに入られなくて、納得いく答えが出るまでとことん突き詰めたくなる。

誰かが「もういいじゃん」「「わからないものはわからないのだから」と言っても、「まだ足りないんだ、だって俺は本当のことを知りたいから、たとえそれがつらいことでも」
という言葉を飲み込んで孤独に、どこまでも知ろうとする。


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時折、自分の男性的な面を強く意識することがある。

女性の中にいる男性的な面を、心理学者のユングは「アニムス」と呼称している。
女性は社会的な生活の中で女性らしくあることを求められる
(例:やさしい、柔和、皆との調和を重んじる、など…)。
が、それに対する一種の反動形成として、アニムスという、男性的な面も存在しているのだ。

このことを知った時、「そういうことだったのか!」と納得した。
そういえば自分には男っぽい面が多々ある…。

昔から、女社会の井戸端会議とか、自分の好きな子の話しだのカレシの話しだのファッションやら化粧品の話しだの〜〜〜、という内容と中身と発展のない会話が大きらいだった。

そんなことにうつつを抜かすぐらいなら、ひとりで自然の中でぼーっとして、窮屈な自分を開放したり、歴史漫画を読んで、「平安時代ってこんな背景があったんだ」と思ったり、SF小説を読んで「これはおもしろい構想だなぁ」と思ったりするほうが百万倍ぐらいましだった。



女性的、とは簡単に言うと、人とかかわりを持つ能力
http://www.kawachi.zaq.ne.jp/dream/10male_female.htm
らしいが、私が今まで送ってきた人間関係のスタイルだと、確かに他人とのかかわりはほとんどなかったし、重視もしなかったし、今でもそういう、基本的なスタイルは変わっていない。

が、自分の男性的な面は、関係性を重視するような女性的な面と対立するのもまた事実。
自分でも、孤独で探求的で乱暴で性急な「男!」思考と、
甥っ子の世話や、ひととの情緒を重視する柔和な「女〜」思考のムラが激しいと思っている。
その切り替えを上手くするのが、今の私の課題のひとつでもあるのだろう。
それは実際の人間関係の中で培われるものだから、関係性がないところに勉強もない、というわけだ。

昔はわからなかったけど、いまはどちらも大事だとそれなりに思う。
posted by 鉄1 at 00:23| Comment(0) | TrackBack(0) | Daily Dialy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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