2006年07月23日

やれやれ

久しぶりの更新と、ぼやきエントリです。
テンプレなんとか変えれました。

後、HN変えることにします。Az→鉄一 へ。
よろしくお願いします。
自分がネット上で書き込みするときはてつぃか鉄一、たぶん鉄一で統一すると思いますが。
なんか中国人みたいな名前ですけど、わたしは中国人ではないですよん。目

More…
posted by 鉄1 at 09:55| Comment(0) | TrackBack(1) | 社会…Ourselves | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月12日

うーん

いい加減テンプレ変えたいっすふらふら
posted by 鉄1 at 04:25| Comment(0) | TrackBack(0) | Daily Dialy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

AKIRAの1巻 初版


汚れれば汚れるほど値打ちが上がる。
汚れれば汚れるほど、それは独自の個性を持った本となる。

藤原新也「メメント・モリ」


(2006年07月09日のmixi日記一部改変)

友達の家にお泊りした帰りに、古本屋で第1刷のアキラ 1巻を手に入れました♪まさか初版が手に入るとは思わなかったので、本当に、うれしかったです。
この古本の、ほどよい古さと匂いがビンテージものワインやジーンズみたいでたまらなく好き。

実はこのアキラ1巻、初版なので21年前の発行物。
(奥付に84年9月21日 第1刷発行 とある)
一部インクが消えていたりして、見辛い箇所もあるのですが、その古びた所が、年月が経っているが、それでも残り続けている、という風情を漂わせていて、たまりません。 ちなみに古本の匂いも大好きです。

キレイなだけが能じゃないのは本以外でも同じだよね。
最近はそういう事を忘れてる、新品でキラキラキレイなものだけが素敵だと思いがちな重度の潔癖症気味のやつも多いけど。


*

私がアキラという作品だから、ということに限らず、古本、古いものに特別な意味を感じてしまうのはどうしてだろう?

たとえば、このアキラの1巻は自分が生まれる前の本で、ようは私より年上であるわけだ。(あっ年がばれますね・笑)
自分がオギャアと生まれる前から、そこに存在し、いろいろな場所を遍歴したのち、今は私のすぐそばにある本。
新品のように、漂白されたキレイさもなければ、昨今のマンガのように初回限定特典があるわけでもない。

でも、初回限定版マンガを手に入れたときよりうれしい何かが、このアキラの1巻にはあった。
そのうれしい何かは、初回限定のアイテムを手に入れたときの一過性の高揚ではなくて、後からじんわり効いてきて、とても美味しいコーヒーや紅茶を飲んだ時のような、味わいがあって。たぶんこの高揚というか、えもしれぬうれしさは、動きこそ静かだけどずっと続いているんじゃないかなと思う。


*

今思ったけど、私はこの初版のアキラ(及びそれに類する古書の類)を自分の存在の担保としているのかもしれない、それと、私が生まれる前から存在していた確かなもの、自分が生まれる前から存在していた確かな流れを感じている…それを、歴史と言い換えてもいいのかもしれない。
posted by 鉄1 at 03:44| Comment(0) | TrackBack(0) | Daily Dialy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月04日

「死ぬ」ってこういうこと?(私の場合)

夢の話を日記に書くなんて、なんかてれくさいのだけど。


夢の内容はこうだった、それは真っ暗闇の中で、小さな不安の種が大きく開花することからはじまった。

心境はこのようなものだ。

もし私が今属している場所からいなくならなくなって、もしそうなったら、その後私はどうなるんだろう?

だからこそ、今みたいに立ち止まってはいられないではないか。今を大事にしなくてはいけないではないか。

でも外には出れない、どうしたらいいんだろう・・・皆といないと皆は私のことを忘れてしまう、私のほかにもそういう人はいっぱいいる、去ってしまった人は自ら身を引いたり、二度とその場所に寄り付かなかったりして、もう二度と戻る事のないまま忘れられようとしている。

私は忘れさられるのが怖い。忘れ去られてたった独りぼっちになってしまうことが怖い。誰も私のことを理解せず、私が声を出しているのに聞こえない状況になってしまうのが何よりも怖い。自分が確かに存在しているというのに漂白され消し去られてしまったような状況が怖くてたまらない。

そうか、わかった、これがたった一人になって誰からも省みられない状況なんだ。
彼らの思い出と断片的な記憶の中にしかいない、動いていない、静止したままの私しか存在していない状態の中、人々の中のおぼろげなイメージだけになった私は、もう自分からは二度と動きだすことのないイメージとしてしか、誰かの中に存在できない。

死んだら、もう、みんなの中で私が「動く」事は二度とない。
大体あんな人だったね、って言うように断片的なイメージは、みんなの記憶の中に残るけど、その私が生きて新しい事をし始めることは、絶対にない。


「死ぬ」ってこういうことなんだ…。
もう決して動く事はない、明日も来ない。

けれど、「生きて」さえいれば、呼吸をしてさえいれば、そうして動いてさえいれば・・・明日はやってくる。たとえ無駄だとはわかっていても何かをすることができる。

それが生きているっていうこと。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

しかし、本当に怖い夢だった。
起きたら心臓がバクバク言ってて、心臓が止まりそうで、なおかつこんな夢を見たということ自体が怖くて怖くて怖くてたまらなかった。
心臓のドキドキしてる時、高血圧で心臓を押さえてるおじいさんやおばあさんの苦しさが、こんなんなんだなぁって、ちょっとわかった感じ…というか最近こんなんばっかり。

でも、同時に示唆にも富んでいた、この夢。
死ぬってどういうことなのかあらためてわかったっていうこと、
それはかなり重要な事なんじゃないかな、って思う。

きっと生きている限り、”本当に”わかることはないんだろうけど。

posted by 鉄1 at 19:05| Comment(0) | TrackBack(0) | Daily Dialy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヒデが引退か…

日本代表メンバーとうまくいかなかったとか、サッカーのビジネス上の理由とか、憶測は数あれど、いろいろあったのかな?

私としては、ちょっと、さびしいです。
これでサッカーに対する興味もさらに減りそうな気がするし…。

ほんとうはちょっとどころじゃなくてもっと。

今までバリバリに戦っていた、孤高の人が、急に前線を退いてしまったような。

けれども、前線は何もワールドカップの中だけにあるんじゃなくて、それぞれの心の中にもあるんじゃないかな、そう思ったりもしてみる。

生きることは戦いなんだと思う。一見回りと戦っているように思えるけど、突き詰めていけば、 自分との戦いなんだとは思う。

私がヒデを好きなのは、私が好きな作家さんの村上龍さんと、親交が深いから。最初はそこから好きになった。
対談集「文体とパスの精度」も、いい内容で、書いてあることも確かにそうだよなあと思った。
ヒデとメールでも交流していた龍さん、その龍さんはヒデの引退、一体どう思ってるんだろう?
そんな事を考えてしまった。

2002年のワールドカップを見て、その後もサッカーに興味を持ちながら、楽しもうとする事ができたのは、多分ヒデがいたからだと思う。
狭くなりがちな自分の視野もちょっとは広がった。
ヒデの姿勢には学ぶような事がとても多かった。

私はネットの上でしかこういうことができないけれども、ひでは本当、精神的にも辛い中、本当に本当に「がんばってきた」んだと思う。

ヒデ、ありがとう。おつかれさま。
posted by 鉄1 at 18:00| Comment(0) | TrackBack(1) | Daily Dialy | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月03日

辺見庸さんの本。

辺見さんの本を知ったのは去年、ちょうど自分の周囲の状況や、イラクとか世界のこととかが気になっていたときに、近くの図書館で借りた。More…
posted by 鉄1 at 19:01| Comment(2) | TrackBack(2) | 社会…Ourselves | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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